2017年2月11日 (土)

昔と出会う

お久しぶりになってしまいました。
お元気でいらっしゃいますか。
なんでこんなに更新しなかったんだろうか、自分でも不思議。
とはいえ、二週間くらい風邪らしきものを引いたり、子どもがインフルエンザになったりで、なかなか書く気分になれなかったのもあるんですけどね。

それでも普段相変わらずやっていることといえば、本を読むこと。
最近よく読んでいるのが、アメリカ人小説家を中心とした短編集。名だたる翻訳家さんたちがチョイスしたアンソロジーを何冊か読みました。短編なので飽きたり肌に合わない文体のものも、あっという間なので楽しく読めます。若島正さん編の『ベストストーリーズⅠ・Ⅱ・Ⅲ』は「ニューヨーカー」に掲載されてかつ日本語未翻訳だったものを集めた作品集なのですが、これがまたおもしろい。あとは柴田元幸さん編ものものをいくつか読みました。『いずれは死ぬ身』(←すみません、間違えました。本の訂正『いまどきの老人』でした。老人の小説。ごめんなさい~・・・)は主人公が老人ばかりのお話を集めた老人小説で、子どもが持つことができない染み込んだ経験からもたらされる悪辣かつ悲哀がかった人生を語るお話たちはおもしろすぎる。老人侮るなかれ。気軽に楽しめ気安く落ち込め。

それら傑作作品集にチョイスされるのが、やはりエドガー・アラン・ポーなのだ。
ポーのとある作品を読んでわたしはお腹の底からフツフツと沸き上がるものを感じました。
・・・わたしは犯人を知っている。
・・・わたしはかつてこの作品をよんだことがあるのだ。
という、懐かしい感覚が蘇りました。小学生の頃、好きだったのは、星と神話と猫の生態に関するものと推理小説。あまり内容を覚えていないのだけれど、推理小説は、学校の図書室にあったエラリー・クリーンとかコナン・ドイルを読んだ記憶があります。その中でとりわけよく覚えているのが、ポーの『モルグ街の殺人』でした。ご存知の方もいらっしゃるとおもいますが小学生ながら、この作品の犯人に驚愕しましたし、事件を解決していくデュパンの存在そのものに意味不明な畏れを持ったのでした。

その小学校の図書室で、現在娘がよく借りて来ては本を読んでいます。わたしが小学生の頃とは比べものにならないくらい活字に触れているようです。(宗田理さんがお気に入りのよう)わたしが小学生の頃はもっぱら少女漫画に明け暮れていたので、娘ほどの図書室に出入りはしてはいないのだろうけど、それでも当時の自分が思い出されます。

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『春近き 消えた陽だまり 手を当てて 
          ぬくもり探す きみのいた跡』  毛毛

・・・きみもいつか消える陽だまりのぬくもりのように、わたしの元からいなくなってしまうのだろうか。 空を見上げれば、そこにあるはずなのに。

2017年1月 1日 (日)

あたらしい日

今日はたまたま元日だ。
昨日までは去年だったわけで、時間の経過とともにその経過を確認するための暦が慣例に則りひとつ増え、月がぐるりと1周し、数字の「12」が再び「1」に戻った。
簡単な説明ではあるけれども、これを新年という。(単なるへりくつな言い回し)
ここのところ、今までの自分の悪いところを見直してこれから先はもっとよい気持ちで過ごせるようになりたい、と思うことが増えた。ぐずぐず毎日自分を変えたいな、と思い続けてとうとう元旦になったわけだけど、それなら区切りもいいし、去年してしまった失敗をこれからは繰り返さないように、反対にいいことだけを繰り返せるようにしようと、心に決めた。

なんてことを新年早々にこんなふうに書くのはちょっと変わっているかもしれないけれど、小説が好きなひとなんて、ちょっとどころかけっこう変わっているひとが多いのだし、この程度のヘンテコはどうってことないのだ。

 
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最近、子どもの教育に関する講義に参加する機会が増えました。
講師は大学の教授だったりNPOの主催者だったりします。その中で出てきた説明でいいな、と思ったシンプルな例をここに書いちゃいます。上の写真の→の先っぽに書いてあるのが、生活を困難にしてしまう幾つかの症状なのですが、あくまで一例として先生が挙げたとおりに図にしてみました。→の先に行くほど、日常生活を困難に感じる度合いが高くなることを示しています。そして、乱暴でありますが、生活しているすべての人たちをこの図に当てはめるならば、そのすべての人がこのクロスした矢印の中心の上に位置づけされる人、悪く言えば無味無臭のなんの傾向も持たない人間、は存在しない、ということです。人間ならば、どれかしらの矢印の先端の方向に向いている、というわけです。

人によっては少し不安になりやすい、とか、空気が読めない、とか、そういう傾向のことです。それを「中心にいないのがおかしい」なんて無意識に思い込んでいる人がいないわけじゃなくて、むしろそんな雰囲気の中で暮らししているような気がします。それで息苦しくなっちゃう。生活がしにくくて、息苦しく感じている人たち。(だから、小説とか演劇とか音楽とか絵画とか笑いとかいろいろ、お金のように使えないものが貴ばれるとわたしは思う)

それがちょっとヘンテコなのだ。
そしてわたしはたぶんヘンテコなのだ。(知らないけど)

ヘンテコな自分万歳。ヘンテコな他人万歳。まずはそこからだ。それが出来たら、自分の見たものだけが真実だと解釈して都合の悪いものは排除する考え方はやめようかな、と思う。都合の悪いもの。なんだろう。頭の中で挙げてみるけど・・・・・・・・・・・・。
でも都合の悪いものの背景にはどんなものが描かれているんだろう、なんて想像してみてもいいかも。
しょっぱなからそんなことをこねくり回す、これもまたヘンテコなところです。すみません。

それが出来ずにぐずぐずしていた去年。まずはぐずぐず考えない。今年は。

最後に言いますが
あけましておめでとうございます。良い年になるといいですね。

2016年12月26日 (月)

2016年の読書

こうしてブログの更新をすることが、お久しぶりなことになってしまいました。
いざ何かを書こうとする、今も、どんなふうにしたらよいのだろう、などと、変に肩に力が入ってしまい思うように言葉が見つからない。
でもまあ、そのうちにこれまでの心境を含め、これからゆるやかに文章にしていけたらいいなあと思っています(心境なんてものは周囲から見たら、どうでもいいことかもしれないけど)。とは言うものの、わたしの考える、そのゆるやかさ、がひとと違うような気がしているので今後書く内容がどうなるか分からないのでした。

というわけで(無理やり)、2016年印象に残った読書。新刊既刊関係なくわたしが読んでおもしろかった本。<小説のみ選択>でメモを残したいと思います!(どれももこれもおもしろかったので、特に印象深かったもの)

・「可笑しい愛」 ミラン・クンデラ
・「贖罪」イアン・マキューアン
・「狼たちの月」フリオ・リャマサーレス
・「奇跡も語る者がいなければ」ジョン・マグレガー
・「父の遺産」「いつわり」フィリップ・ロス
・「海に帰る日」「いにしえの光」ジョン・バンヴィル
・「ディビザデロ通り」マイケル・オンダーチェ
・「マイケル・K」J.M.クッツェー
・「終りの感覚」ジュリアン・バーンズ
・「灰色の輝ける贈り物」アリステア・マクラウド
・「千年の祈り」イーユン・リー
・「コンビニ人間」村田紗耶香
・季刊誌MONKEY

などなどなどなど。

それから、谷川俊太郎さんの詩集を読んだことがわたしの中で大きな収穫となりました。

今年は、後半グダグダなわたしでしたが(最初からだよ、というセリフには耳を貸さない)、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします!(たぶんまた喋り出すと思います)
 
 
 

2016年11月20日 (日)

こんなのありました。

うちにありました~~~。
『中国女』のパンフレット~~~~。
 

Img_2361 もう一枚 Fullsizerender_24

2016年10月28日 (金)

egoism

たとえば

わたしが美しいと思うのは きらびやかに咲く花の花びらにいる怖い蜘蛛
わたしが美しいと思うのは 大嫌いと心にもないことを言っちゃう小学生の真っ赤な頬
わたしが美しいと思うのは 弱く震える人に向けた柔らかい眼差し
わたしが美しいと思うのは 沈黙でも言葉を超えて信じる目
わたしが美しいと思うのは 誰かが誰かを愛する気持ち
わたしが美しいと思うのは 神の火に炙られてはじける達磨の音
わたしが美しいと思うのは 無垢な者が流す涙
わたしが美しいと思うのは 病の犬の背中
わたしが美しいと思うのは 正々堂々と闘っている人の姿
わたしが美しいと思うのは 弱い自分を変えようともがいている姿
わたしが美しいと思うのは 綺麗なふりして汚いより汚いふりした綺麗
わたしが美しいと思うのは 悪者が見せる仄かな弱さ
わたしが美しいと思うのは わたしに踏んづけられた道端の花
わたしが美しいと思うのは 言葉に出来ない苦しい気持ち

わたしが美しいと思うのは わたしだけを愛してくれる誰かの心 

2016年10月12日 (水)

谷川俊太郎展

こんにちは、お元気ですか。

そろらくですが、ブログの調子が悪くてログインできないとか、ブログを書いている途中にカーソルみたいなものが動かなくなるという現象があり、やっと開いたパソコンを閉じてしまうという心の弱さのために更新できずにいました。まおまおです。

また途中で止まると嫌だなあ、などと思いつつ、今打ち込んでいる最中です。
 

最近なにかあったかな、というと、伝えるほどの出来事は無く。。。そうかといって、頭の中は相変わらず、ごっちゃごっちゃして、感情は忙しい。わたしは中身だけ忙しい。。。

で、そんな中、9月25日に大岡信ことば館にて谷川俊太郎展に行ってまいりました。その日は、大岡信さんのご子息の小説家である玲さんとの対談イベントがあったので、ご本人さんのお話をおうかがいすることが出来たのでした。
まず、「言葉について」からお話がスタートしたわけですけど、やっぱり面白かったです。言葉に対するスタンスが聞けてよかったです~~。具体的にどんなことをか? と問われるとうまく答えられないのですが、きっと谷川さんの詩集を読まれてれば分かることなのではないかと思いました。
大岡玲さんは小説家ですので、おふたりの間での、小説と詩の違いの感覚も、へえええ、と心の中で呟きました。(なんのこっちゃ)
お話は初めて聴かせて頂いたのだけど、谷川さんは、とても「ゆるゆる」した方なんだ、ということを知りました。とても「ゆるゆる」していました。

最後に観客との質疑応答の場が設けられているのですが、そこで手を挙げ指名されたお客さんもなかなか変わった方が多くて、わたしは吹き出しそうになるのを堪えながら聴いておりました。どの方もそれぞれにご自分の質問やら感想やらを述べられていましたが、(たとえば、うんことうんちは違う、とか、墓はどうする、とか)それに対して谷川さんは「ゆるゆる」はしていつつも誠実に答えてらっしゃいました。ただ最後のほうの質問で、ある女性が「スヌーピーがイメージと違って、ブラックな犬だと知りました」と発言すると、その時だけ「ゆるゆる」を脱ぎ捨てて、「スヌーピーは、ブラックなのではありません、シニカルなのです」と真面目な口調に豹変したのでした。

それから展示室には、谷川さんの詩がいくつか斬新なデザインでレイアウトされています。だがしかし、わたしは座ってひとりで本を読みたいので、近いうちに実行しようかと思っています。

ものすごく大雑把に書きましたけど、そんな感じでした~~~。
サイン頂きました~~。
 
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***最後に。
お願い。
とある方にお願い。
これだけ書けば分かりますか。
 

2016年9月17日 (土)

日本語のために

この間、日本文学全集30巻『日本語のために』(河出書房新社)(池澤夏樹さんの個人編集)を読みました。隅から隅まで熟読した、とは言い難い読み方ではありますけど。

読んでいくうちに幾つか印象的な文章がありまして、そのうちひとつをメモ的にここに書いておこうと思いました。なにせわたしは日本語があやしい。なので、メモするのだ。

まず、30巻めのこの本は他のものとは違い、文学作品など、物語や小説は扱っていません。はじめに、と書かれたページの冒頭に、「さまざまな文体のサンプルと日本語に関する考察を集める」と書かれている通り、多様性に富んだ文体が載せられているので、見ていて楽しいです。(文体、と言えば、レーモン・クノーの『文体練習』、めちゃめちゃおもしろいですね)

10章めの「日本語の性格」、中井久夫さんの「私の日本語雑記」p.497.です。
それによると、伝達に必要なのは間合いらしいです。
コミュニケーションは三割が語意、七割が音調と言われているらしく、音調が平板の人は、表情やジェスチュアでそれを補っているらしい。
らしい。らしい。らしい。
(自分たちでやっていることなのに、こうして、文章にされると、「……らしい」と言うしかない、わたしは。)
 

で、その後に続く文章。精神科医のハリーさんの言葉。
【voice of desire (心の思いの声)→本音】
と、
【voice of training (躾の声)→建前】
 

できるだけ、ヴォイス・オブ・デザイアで語りたまえ、というわけである。
躾の声で喋っても、あんまり届かないみたいですよ。彼によると。
 

分かる気がします。というか、建前でなにか語りかけれても、あまり嬉しくない。これは素直な気持ちです。

・・・
話は変わりますが、さきほど、ピンポンが鳴って出てみたら、キリスト教の布教をされているかたがいらしゃって、ちょっとだけ話をしたところ、「あなたは悩みがない方ですね」と言われました。そんなわけないです、と思いました。でも、わたしは前に韓国のなんとかという宗派の方々が勧誘にいらしたときも、また別の方にも言われました。どうも、宗教関連の布教活動をされてるかたには、そういうふうに見えるみたいです。不思議だなあ。

・・・
9月28日に米津さんの新曲が出るぞ! めっちゃかっこいい。
動画をここに載せたいけど、どうしたらいいんだかわからないから後日。
めっちゃかっこいい!(二回目)
ダンスがすごい!!!!
 
貼り付けできた!!!!!
かっこいいです。

2016年9月 2日 (金)

あいまいな敵

わたしの癖で、ついあいまいな敵と闘いがちである。
敵は見えてるのか、見えていないのか、とても分かりにくい存在で、もっというと、それが敵かどうかも分からない。

 

学生の頃に、ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』についてのレポートが課題に出たことがあったのですが、ひじょうに勤勉だったわたしは、誰かから譲り受けた見ず知らずの先輩が書いたものを丸写しして提出したため(たしかそんな記憶)、最近になってこの作品を読んだときは初読同然の感動を得たのでした。(というか、実際に初読だったのかもしれません)

 

『ねじの回転』という作品は文章は読みやすい思うのですが、解釈が難しいらしく、わたしの読み方も自己流でしかないのだけど、それでも、とてもおもしろく読めて、見えない敵が現れるとけっこうな頻度で思い出す一冊です。ところで、見えない敵ってなんだ! って話だけど、わたしが思う見えない敵は、自分自身に他ならない、と感じています。ちなみにこの作品のモチーフは「幽霊」です。

 

「幽霊」はじぶんが、幽霊であることを果たして知っているのだろうか?

とても短いですが、文章をまた書こう~、と思ったのでありました。 (それにしても、まあ、もっと読書しなくちゃだめだわ)

2016年8月18日 (木)

外泊

子どもたちは夏休みです。
もっと気軽にブログを更新できたら、よい気分転換になるのだろう、と思いつつ、ついついいつもの通りもう八月も半ばすぎ!

 

みなさんいかがお過ごしですか。

忙しいわけではないのですが、どんどん時間というのは過ぎていくのですねえ。

 

今月はちょっとだけお出かけしたりして、楽しいこともあるのですが、それをどのように文章にしてよいのか、忘れてしまいました。どうやってその経緯を説明するんだっけかなあ、と。いったん悩み始めるとドツボにはまって、どのように文章を書き出してよいのやら、意味もなく難しく考えて頭が真っ白です~~~。なんでだろうなあ。

 

そうだなあ、えええと。

 

八月の前半で印象的なことと言えば、学生時代の友人宅に泊めてもらった日のことです!

 

六本木で友人三人と待ち合わせて、ランチしました。そのあと、六本木ヒルズで「ジブリの大博覧会」を見に行き、展示してあるふかふかの猫バスでいい年のわたしたちははしゃいで写真を撮り、その後スカイツリーに行って、酒飲みの二人と酒を飲んで、店を変えて食事をし、埼玉の友人宅に泊めてもらいました。

 

ふたりとも子どもがいないのに、とても育児に関心があって、子育てについて話したりもしたのですが、ふだんママ友とばかり会話しているじぶんには新鮮な部分もあり、その点もとても楽しかったです。

 

翌日ふたたび六本木ヒルズに舞い戻り「ルーブルNo.9 漫画9番目の芸術」を観に行き、わああああいって喜んで(漫画が読みたくなったし、米津くんが、良かった~~ 訂正、米津くんが!良かったのです。米津くんが!!!しつこい)、そのあと、またランチしながら、ひたすらお喋りしてました。

 

ここ何年もあまり出来ていなかったことのひとつをする、以前当たり前に出来ていたことを「今」する、ということが、こんなに楽しいことだとは知らんかったですよ。

 

というわけで、またぼちぼち書いていけたらいいなあ、ここに。

2016年7月26日 (火)

蒸される

最近、なんかあったかな、と考えた。わたしは。
そうだ!
少し前から、たまーに、「よもぎ蒸し」に行っていることを思い出しました。
韓国伝来の健康法のひとつです!

穴があいた椅子の真ん中に、ぐつぐつ煮立ったオイル状の薬草の壺が置いてあるのですが、その蒸気を取り込むことで、発汗を促し、体内の毒素みたいなものを排出するのです。そうすると、その壺の中に「自分から出た何か」が流れ落ちて、その様子によって体調診断が出来る、というものです~。終わったあとに壺のなかを見ますが、いまいちなんのことなのかよく分かりません~。
 

蒸される前に常温のお茶を一杯飲みます。そして、始めるととにかく大量の汗が出ます。その汗は、夏の暑い日や運動の汗とは違って、さらっとした水、という感じに近いです。
 

汗をかいた後は、けっこうさっぱりした気分になりました。わたしはわりかし薬草の香りが好きなので、いい感じですが、子どもたちには大ブーイングです。嫌いなひとからすると、相当らしい。

よもぎ蒸しは、各種薬草がブレンドされていて、その効能により、「美容」「ダイエット」「婦人用」と選べます。そこもいまいち違いが分かりません。男性にも効くらしいですよ。体内に取り込める器官があればいいみたいです。たとえば、目とか口とか鼻とか毛穴とか。そのへんはだいたい大丈夫でしょう~。

そのよもぎ蒸し屋さんは、以前住んでいた家の隣人が経営していて、わたしとご近所さんと一緒に行っています。そのご近所さんとは子どもが同級生で、普段からいろんな話をちょこちょこするのですが、よもぎ蒸し屋さんとのお子さんとも中学生になる同級のお子さんがいるため、お店に行くと、たいがい子どもの話になります。そんで、たいていそのご近所さんがひたすら喋ってます。わたしもお喋りですが、彼女にはまったく敵いません。そのひたすらのお喋りをへえええ~~~、とわたしは聞いているのでした。
 

我ながら、びっくりするほどオチがない内容なのでした!!!!!

おわり

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