2017年12月17日 (日)

つれづれる

愛って何だろう、と考え続けて、あいかわらず答えが見つからない。

もう一人の自分が言う。「考えているうちはわかんないよ」

そんなこと、言われなくてもわかってるよ、ともう一人の自分に言い返す。

 

ずっと前、まだ子どもを生んだりする前の、へんに柔くとんがっていたとき、「わたしのこと、どれくらい好き?」と恋人に訊くのが好きだった。

「これくらい」と指で3㎝くらいの幅を示されたこともあったし、地球より大きい、宇宙で一番、と言ってもらったこともあった。

3㎝、と言われたときは激怒して、宇宙で一番、と言われたらイエイのポーズで納得した。そんな素直な頃があったのでした、わたしにも。

しかしながら、今考えると、3㎝も、宇宙で一番も、その存在の重さは結局同じだったんだろう。

人は不安になると、見えない誰かの気持ちを推し量り、何らかの形にし、目に映るように変換して、そして、その感触を確かめたいと思うときがある。少なくとも、ぐいっと掴んで痛みを感じる程度には。

たとえば、相手を喜ばせるだとかして、怒らせるだとかして、泣かせるだとかして。自分にはこの方法しかないんだよ、とか嘯いて。

 

なんとなく「きみには明日がないんだよ」と突き放されたように感じるときがある。というか、繰り返し、繰り返し、言われているような気がしている。

「そんなことないよ、他人にそんなことを言われたくらいで無くなる明日なんかないよ。ほら、今だって息してるでしょ? 昨日も、その前も、息してきたでしょう?」もう一人の自分が言うんです。

「きみには明日がない、なんていう奴は蹴散らしちゃえばいいんだよ。奴もきっとそれを望んで言ってんだ。そう思うぜ」

 

あともう少しで、うちの子どもたちが小学校を卒業する。小学校を卒業すると、一緒に終わるものがある。「子供会」だ。中学生になると「子供」会のカテゴリーから外れる。ああ? そうか。でも中学生ってまだ赤ちゃんなんじゃないの?

「いいや、違うな。赤ちゃんではない、確実に」もう一人の自分が言う。

確かにそうだ。自分の中学生のころを思い出すと、赤ちゃんではなかった。これは本当だ。

子供会の行事、それと、わたしが個人的に終わるもの、それは小学校におけるPTA活動のお仕事。そんなに活動量があるわけじゃないのに、正直めんどい、と思うことがあったり、なかったり。でもたいがいのことは楽しくできました。

 

昨日のPTAの忘年会で、数回役員をしたことがある先輩お母さんに「今年のPTAは、良い意味で今までとガラッと変わったね」と言われた。去年からPTA改革を皆でしてきたので、そのひとこと、嬉しかったなぁ。

わたしはこれまであるようないわゆる「PTA」のイメージがとても嫌だった。正直副会長ってキャラじゃないしって思ってもいた。

でも、まだ柔くて何にでもなる子どもたちを、どうにでもなってしまう子どもたちを見ているのが楽しかった。それが終わりになるのはさみしい。。。。と言ったら、みんなに「ボランティアで来ればいいんだよ?」と言われた。けれど、あんまり乗り気になれないんだよなぁ。たぶん、知らないお母さんたちにまじるのが苦手だからだわぁ。できないことはないんだけど。

子どもたちを見ているが楽しいって、これも愛のひとつなんだろうな。まあ、見ているだけなら、楽しい、だけですむんだけどね。

 

ここかしこに溢れる日常を切り取り、文字に置き換えると、なんだかそれだけで特別になることがある。なぜかといったら、わたしたちのすべての一瞬を文字に置き換えるのが不可能だからだ。ましてや神様のように主観も客観も取っ払って、ぜんぶをフラットにその様子と綴りこむなんてまず無理だ。

うん? ちょっとまってよ。質問!

神様は100%主観を排除できるんですか。

神様、愛って主体性ですか、客体性ですか、何言ってんですか。

・・・今は、考えないことにしよう。

 

地に埋もれていた、その新しい愛の芽吹きは、ホンモノデスカ?

2017年11月30日 (木)

三倍速

11月も終わるでねえか。

忙しくしているわけでもないのに、時の流れが数年前と比べて三倍速に感じます、まおまおです。時の流れがはやまるというのは、もしかしたら、わたしの動き(頭&身体の動き)が遅くなっているからかもしれない。

 

気がつくと朝で、また気がつくと夜である。夜になったら寝るのである。わたしは寝る前に、じぶんに向かって「寝てもいいんだよ」と他の誰かからみると狂気ととられかねないひとりごとを言う。じぶんに寝てもいいという許可を出すのだ。不安な夜には、「よしよし」も加えてあげる。「よしよし、朝まで寝てもいいんだよ」そうすると三倍速で朝になる(こともある、ないこともある)。それってなんだか変かな? 狂気なのだ。まあ、そういうことである。

 

だいたい狂気なのである。自分以外は狂気なのである、みんな。程度の差はありますけれども、みんな世界の中心はじぶんなのでじぶん以外は狂気なのだ。じぶん以外の誰かの意識や身体で生きれないんだ。じぶん以外の誰かに乗り移るとかして、そのひとになったら、その時点でじぶん以外の何者でもないのだ。

 

こんな内容を突然なんの脈絡もなく書くなんて、と変なひとだと思われる方もいるかもしれないけど、わたしを変なひとって思うひとにとってわたしは変なひとなのだ。同様に、じぶんが狂っているかもしれない、と思うとほんとに狂っていると思われることが多いが、だいじょうぶだ、気にすることはない。「ふつう」と同じくらいこの程度の「狂気」もよくわからんって話だ。

 

っていうかなんの話だ?

 

本を読んでいると、ほんとに世の中変なひとが多くいることを知る。そして、その変なひとたちはいろいろな生活様式でいろいろな容姿をしていろいろな場所で暮らしている。そんで、トラブルやらなんやら衝突めいたことが他人との間で勃発すると「あいつ狂ってやがる!」とじぶんを棚に上げて毒づく。怒り真っ最中の対象(相手)に対して「あいつはなんて常識人なんだ! だから従うのだ!」となかなかならないのである。なる場合もあるけれども、喧嘩だとかそういうトラブルが起きたときにはおおよそ、じぶんしかそこ(じぶんのなか)にはいないのである。他人がいたら困るのである。他人がいたら、じぶんが出ていくしかないのであって、他人だとおもっていたそれがじぶんになるから、もはやそれは、他人ではない.

というようなお話を今、思いついたのである。

 

なんてことを突然考えたりするので、時間が三倍速になる。思いついた屁理屈をなんとなーく並べてみたのだ。ごめんなさい。あんまり意味はないでした。

でも、なんか考えていると、考えていないときと比較して、ものすごく時間が経つのがはやくなりませんか。感覚って不思議

2017年10月31日 (火)

吉増剛造さん×大岡玲さん 対談

この間の日曜日、大岡信ことば館に行ってきました。以前、新海誠さんや谷川俊太郎さんのお話を聞いた場所です。今回は詩人吉増剛造さんと息子さんの小説家大岡玲さんの対談と4月に亡くなった大岡信さんの追悼展示を見に行ってきました。

近頃気候のせいか、頭がどんよりと重い日が多くて、この日も体をよっこらせ、と起こしながら会場に向かいました。

ところがどっこい結論から言いますと、わたくしは心がわななくほど感激してしまいました。

 

言葉に対するじぶんの無知さと軽薄さを知るとともに、言葉によって開かれる他者への回路があることを熱のある声で訴える姿がぐううと胸に迫りました。こりゃこりゃいいこと聞いたわっ、ととんでもなく貧弱な語彙力で、会場でぽつねんと椅子に座りながら、わたくしは思考したのでありました。

わたしが住んでいるところではなかなか講演を聞きに行く機会もなく、東京あたりでは毎日のように開催されていていいな~って思うのですが、そのためにお家でも楽しめる本やディスクやパソコンなどなどなどがあるんだけど(わたしはそれらが大好きです)、やっぱ、目の前で熱を発する姿を目にすると、かっこいい、と思わされてしまいます。吉増さんは78歳になられるそうですが、谷川さんも90歳?くらいでいらっしゃるようですけれども、なんだろうか、幾つになっても素敵なものを持っている人は素敵なんだと。どんなに強がりポジティブシンキングとやらをしたところで、生きていればやがて年齢は否応なしに加算されていくし、歳月に伴い若さによるそれだけでもある十分な美しさは絶対的に減っていく絶望、衰えは自明の理みたいな気がするけれども、それと引き換えにそれでしか手に入らない美しさがあるに違いなくて、それから目を逸らしたくはない。

というか、実のところわたしはそれから逃げたくて仕方ない。頑なに。しーらんぺったんごーりーらー、みたいな感じでいる。

でも、

なんだろう、それを受け入れられないのに、憧れる自分がいるの。

だから、

それを手に入れるべく生きていこうではないか、と思い始めている。

だけど、

なんだろうね? 「それ」っていうのは。

 

「詩」とは、吉増さんが言う。詩に限らないのだけど、「美」でもいいのでしょうか?

こういうふうに「美」について聞くとき、読むとき、いつだって出てくる言葉がある。最近読む本のいろんなところに書いてある。

 

「子どものこころ」と「宇宙」。

もちろん、子どものこころは我儘を言うことではなくて、わたしが思うに子どもの我儘は副次的な感じがするのだけれど。だから大人の我儘を子どもみたいという表現が時々ムズムズしてくる。学校を出て、ある程度年齢を重ねればそれなりに、お前さんは大人なんだよ? と毒づきたくなる。まあ、そのほとんどが自分に対して言えるのだし、痛いくらいに跳ね返って来ることなんだけれど。

吉増さんが仰っていたのは、「生まれたばかりの赤ん坊のころに初めて触れた畳の縁の感触」という誰しもにある感覚が「宇宙」への回路に繋がるんだ、とのことでした。(今の子どもならシーツになるみたい)

 

子どものころの感触。忘れてなんかいないんだ、きっと「それ」は。

赤ん坊のころの感触を思い出そうとする魂のようなものは、遠い、遠い宇宙への回路を探すことと同じなんでしょうかね。知らず知らずのうちに人は「それ」を求めて、お空を眺めるのです。しばらく見てないと「最近、空を見てなかったな」なんて、縮こまっていた自分を思い出して肩の力を抜くのでした。

2017年10月25日 (水)

ドンビーナーバス

「わたしはノルウェイの文学祭で、隣に座ったルーマニアの詩人に話した。」という「早稲田文学増刊女性号」に掲載されている伊藤比呂美さんの文章の書き出しを読み、なぜだかわたしは、とあるペルー人のことを思い出した。(またまたかなり懐かしいことなので記録のひとつとして書いちゃいます笑)

 

今まであとにもさきにも(?)わたしがすれ違いざまに接したたったひとりのペルー人。わたしの中でのペルー代表。なにしろペルー人と聞くとすぐに、ずっと昔に少しだけ話したことがあるだけの彼を思い出す。はたちの終わり頃、わたしは高校時代の友だちとふたりでロサンゼルスとサンフランシスコへ卒業しない卒業旅行に行ったのです(友だちは短大を卒業したんだけども)。

 

ロサンゼルス・サンフランシスコ間の移動はわりと小さめの飛行機に乗りました。数十人規模の搭乗数だったんじゃなかろうか。これがまたけっこう揺れるやつで、風の抵抗は機体でもろに受けてます、というのが乗客にありありと実感できる仕様。なんとなく道路を走る車検を受けてないベニア板で補修したアメリカの自家用車みたいななんだかわかんないけどそれを思い出し、国内線だけにアットホームな雰囲気というのか。当時の印象はそんなこんなですが、なにせわたしがはたちの頃、今からざっと150年くらい前の話なので、いろいろと事実を捻じ曲げたり過分なフィルターが掛かっているに違いないことをご了承いただければ幸いなのです笑 とにかくそんな印象を与える飛行機に乗ったのでした、わたしたち。

 

座席も機体サイズと見合ってわりと狭くて小さいのですが、日本人体型にはさほど不都合は感じませんでした。

しかし、後から隣の座席にやって来た男性にはいささか小さすぎるようなのでした。彼はラモス瑠偉に似ていました。おそらくラモス瑠偉くらいの身長もあったと思うのですが(髪型はほぼ同じ)、違うのは横幅で、彼の三倍くらいあったんじゃないかなぁ?明らかに座席にお尻をねじ込みながら座っていたんです。だけど慣れた感じ。わたしの記憶ではずいずいいってました。

案の定彼の肉体は座席からはみ出て収まりきらないわけで、そうなると隣に座るわたしの領域に気軽にラモス似のお腹や足がヤッホウみたいな感じでいてくれるわけなんです。腕なんかは仕方なしにわたしの頭の上の背もたれ上部に引っ掛けている状態で、島国の片田舎に暮らす当時学生だったわたしにはただただ彼は謎の外国人だったのでした。

というより、実はけっこう恐ろしかったんです。見ず知らずの土地で見ず知らずの外国人とこのような不安定な空間で、なんでこんなに密着しなくてはいけないんだろうかって。年齢もイマイチ分からなくて、二十代にも見えるし四十代と言われたらそうなんだろな、という風貌で。

 

で、離陸前に座った途端、わたしはラモス似から怒涛の質問攻撃を受けることになったのでした。

いや、違う、その前に彼は聞いてもいないのに自己紹介を始めたのだった。。。「自分はペルーから来た季節労働者で、働いたお金で祖国の家族を養っているんだ。だから自分の国とアメリカを行ったり来たりするために、この飛行機には何度も何度も乗っているよ。とても安全だから安心したらいい」というようなことを言っていたような気がしています。

その後に取ってつけたように「あなたはどこから来たの?」と聞いてくるので、「日本です」と答えると「ああ、よく知ってるよ韓国人の知り合いがいるから」とよくわかんない返答をしてきたのでした。「アメリカは何回目?」「ここには何しに来たの?」「その場所は良く知ってるよ、とてもいいところだよね、行ったことはないけどね」などと、親近感をもってほしいと言わんばかりに無理やり話を合わせてくれるのでした。

とりあえずラモスは沈黙にならないようにひっきりなしに話しかけてきたので、わたしはただただ言うなりになることで精いっぱいで、しかも英語が得意なわけではないから必死にリスニングし、片言の単語で答え続けたのでした。

なんでこの人はわたしにこんなに関心があるんだろう、という当然の疑問が頭をよぎるわけです。そうかと思えば「中国では今なにが流行ってるの?」みたいな頓珍漢なことを聞いてもくるのでした。わたしもない知識を振り絞り、中国でなにが流行っているか考えるものの、無い袖は振れないのでなにも出てこず、どうしよう、と意味もなく焦るのでした。

 

もうはやくこの恐怖から逃れたいと願うばかりでした。ラモスの腕のせいで席が離れてしまった後方の友人に振り返ることさえ許されず、なんの罰ゲームだよ、と哀しみに溢れそうになった、そのとき、ようやく機内アナウンスが流れました。どうやらもうすぐ離陸できそうなのでした。

するとラモスは「怖い?」と聞いてくるので「少し」と答えると、それから、「怖い?」と同じ質問を何度も訊ねてくるようになりました。仕方ないので「怖くない」と答えたのですが、その声は彼の耳には届かず、それからひたすら「ドンビーナーバス!」と誰に対して言っているのか分からない様子でモゴモゴしだしたのでした。

そんでわたしの背もたれの手を下ろして縮こまって両耳に指を突っ込んで「ドンビーナーバス」をお経のように唱え始めました。わたしは縮こまったラモスに「ドンビーナーバス」と励まし返しました。

そのときにわかったのですが、彼の「ドンビーナーバス」はわたしへの励ましではなかったということなのでした。

そしていよいよ離陸というときに彼は、ぐわっとわたしの太ももを掴んで「ドンビーナーバス!!!!」と声にならない声で絶叫したので、さすがにわたしもびっくりしました。おそらく離陸のことなど忘れてちゃうくらいに。

 

離陸して機体が安定すると先ほどの質問攻めが嘘のように止みました。一言二言会話したあと黙り込んだのか眠ってしまったのか分かりませんが、ラモスは静かになりました。

わたしはこのときはさすがに安堵。ようやくペルー人から解放された、と分かったからです。

 

だかしかし、離陸するなら着陸が待っているわけです。けれども、そのときにはわたしも勝手を知ったので、記憶に残るほどの緊張感はなかったのだと思います。

無事到着するとラモスは「アディオース」と気のない声で別れを告げてそそくさと去って行きました。

ドンビーナーバス。

怖がってすみません。だって、怖かったんだもの。

 

これにて「わたしはアメリカの国内線で、隣に座ったペルーの労働者に話した。」を終わります。

 

2017年9月30日 (土)

あなた次第

今日はげつまつ。

べつにブログを書かなくても死ぬわけじゃないから今月は一回でいいかな、なんて先ほどまでおもっていたけど、明日までにもう一時間もないや、とぼんやりしていたら、勝手なものでやっぱり書こうかな、というふうに気が変わってしまった。昨日まではあれやこれやと頭の中でいろいろ並べて、どれにしようかな、と考えていたんだけど、座敷童みたいにいなくなっちゃったな。たしか、居たよな? 居たはずだけどな? みたいな。

そういえば、わたしにはちょっとした話を聞いてもらえる70代のお婆さんの知り合いがいるのだけど、なんとなくこの間お会いした時にじぶんが書いた詩のようなものを口頭で伝えてみた。そのお婆さんは明るくて優しくていつもわたしのことを褒めてくれるので、てっきり、褒めてくれはしないにしても、よい反応はあるかな、なんて軽い気持ちでいた。

そしたら「あなたにはまだまだ分かっていないことがたくさんあります。その内容が良いとは思いません。けれども、物事をもっと知りたい、という気持ちがあるなら、これから変われるでしょう。他のひとがなんていうかは知りません。わたしはそうおもいます。それらのことを含め、判断するのはあなたです」とバッサリ斬られてしまった。

悪びれた様子も迷いもなく、当然、というような表情。もちろんそれは本心、というやつなのだ。

そのときにはなにがいけなかったのかわからなかったけど、これから、その意味がわかる日が来るだろうか。
だとしても、受け入れるか、受け入れないかは、わたし次第、ということなのだ。

という、今日はちょっと、こんな感じです。

2017年9月26日 (火)

思い出せ

なにを書こうか、と考え始めると、あれやこれやと浮かびはするものの、果たしてそれをどんな塩梅で書き出せばよいものやら、と思案しているうちに、頭のなかがこんがらがってきてなにを書いていいのかわからないし、じぶんのブログなんだからそんなのどうでもいいのだけど、あああ、どうでもいいわけじゃないしな、なんて、焦っているうちに今日は26日でございますね。

告白したいことがあります。
じつは先日、またやらかしたんですね、わたし。たーっくさん書いたんですよね、でも最後に消えちゃったんですよ、不思議~~~~。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・シーン(静けさの音)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

なにをかいたんだっけな、わたし。
いま、思い出しています。・・・・ああそうだ。 思い出したので書かせてもらいます!

『新道徳論 幸福の条件』鹿島茂著(2012年)を読んで思い出したことを書いたんだ。
幸せってなんだろう、って思い続け早ウン十年ですが、そんな中で目に止まったこのタイトル。とても簡単な漢字にも振り仮名が振ってあって、文章はとても読みやすいのに、分かりにくい事柄をわかりやすく砕かれて書かれ、内容がとてもわたしの好みでした。鬱々としているときに読むとぱーっとした気持ちになれました。かといって、内容は「元気出せ」などと鼓舞するものではないのですけどね、幸せになるためにはどのように物事を捉えたらいいか、ってことが書かれてます。

で、読書しているときにわたしが思い出したのは、幼い頃に通っていた駄菓子屋さんでの出来事なのですが、今一度ここで再現したところで当初の勢いを文章に込めることができるのか甚だ不安、というか、今の時点でなにをどういう段取りで書いていったのかも忘れてしまうという体たらくで、うーん、と考え込んでいます。

えーとえーと。
そうだ。

その駄菓子屋さんは子どもが3人も入ればいっぱいなってしまうほどの広さで、不愛想なおじいさんがいつもはひとりで、たまに奥さんであるおばあさんと交代しながらやっている小さなお店で、「くじや」という名前です。10円くらいから買える駄菓子がたくさん売ってました。少しのおこずかいで数だけはたくさん買えます笑 「薄暗い部屋の奥で店番のおばあさんがギロっと睨み付けているような気がした」というようなことを作者のひとが書いていて、わたしも似たようなことを思い出したのでした。

で、そこで近所の男の子が悪気はないけれども、お店のお菓子を代金を払わずに持ち出してしまいました。それを知ったわたし、そのときはいっぱしの正義感のつもりで、その子の母親に言い付けに行きました。すると、母親に「子どもによく言い聞かせておくから、代わりに払いに行って来てくれない?」と頼まれました。それまでに、わりと何度かあったことなので、わたしはそれを受け入れ、お店に行き、おじいさんに事情を話し、男の子に謝らせました。

ところがおじいさんは、怒らないし、代金は要らない、というし、男の子用のお菓子の小さなオマケみたいな玩具までくれました。

正直に謝ったから、だと思います。おじいさんの心遣いなのです。

だけど、すれっからしのわたしはちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、腑に落ちませんでした。

いいのかなあ、それで。

そんなことを思い出しながら、本を読み進めていきました。
次の章は「イソップ寓話の教訓」でした。
「金の斧、銀の斧、鉄の斧」のことが書かれていました。そうです、あの有名なやつです。
じつは、きこりは正直だから「鉄」だと訴えたのではなくて、木を切るには金や銀ではだめで、鉄の斧でなくてはいけない、と考えていたからだそうです。彼は、金や銀の価値を知らなかったのです。けれども、正直に申し出たことで、金と銀を手に入れてしまった。貪欲さを知ってしまった。金と銀は木の伐採には使えないけど、金品と交換できたのです。

”アメリカ・プロテスタント社会が「交換によって成り立つマーケット」を知ったがために、強欲資本主義の虜になって身を滅ぼしたという二十一世紀版の大恐慌の真実を象徴しているといえます(p.41)”とそこには書かれていました。

わたしは、なんとなく、なるほど、とひとりごちたのでした。

おわり。
(とりあえず、消える前に見直しもせずにばあーっとアップしました! 無事成功! と思ったら空行ないし、タイトルさえもなかった~~~。ので、付け足しました笑)

2017年8月31日 (木)

きゃああ

いま、一時間以上かけて書いたブログを消してしまった。。。
悲しいっ
たくさん書いたのにっ

2017年8月17日 (木)

学校に泊まる

8月ですね、しかも17日です。
のっぴきならない理由のせいでなかなかブログも書かないでいます。まあ、そんなわけです。
 
7月は下旬から子どもたちが立て続けに高熱を出し、なし崩し的に8月に突入したとおもったら、最初の土日に学校イベントである『学校へ泊ろう』が行われる日がやってきたのでした。
 
ボランティアの男性(父親)保護者たちが中心になって、子どもたちを学校に宿泊させようという、タイトルそのままのイベントがありました。うちの学校のPTAでは、今年「防災・防犯意識を高める」というテーマを設定しています。それに沿う形で、防災講座やバケツリレー、食事作りに加えて、体育館で段ボール就寝体験、手作りアトラクション(夜の校舎散策体験、クイズつき)、朝ご飯はおにぎりと流しそうめんなどをやりました~。
 
そんでもって、パパさんたちだけじゃ無理なので、PTAのママさんたちにも手伝ってほしいと依頼され、わたくし含め女性5人が宿泊することに。
 
蒸し風呂のような体育館やその他借りた教室で全学年110人くらいの小学生たちを相手に、ハプニングもありつつ、やんやとスケジュールをこなしていき、夜には全員汗びっしょりで見るも無残な姿になりつつ、段取っていきます。
 
夜8時頃、わたしたちだけいったん帰宅することになりました。お風呂を済ませて、またすぐ学校に戻ったのですが、そのころにはもう自分の外見にこだわれなくなっているし、だれももうそんなことは気にしねえ、という心理状態で、交代で寝ずの番をする時間帯になっていきました。時刻は夜中の12時。10分おきに5,6人団体様でトイレに連れ立っていく3年生女子。仕切りを越えて女子の寝床を乱入して喜んでる6年生男子。喘息を起こして眠れない2年生。熱が出てしまった子、不審者が怖いお化け怖くて眠れない6年生など女子がいたりしながら、だんだん、たぶん、だんだん、静かになって行きました(たぶん)。(というか、実際けっこうな時間帯まで騒がしかったので、わたしの脳みその回転が静かになっていった、というほうが正しい)
 
翌日の朝も早いので、もう寝ましょう、という時間(夜中の2時か3時)になったので、やすむことに。5人のうち、ふたりは体育館で子どもたちと雑魚寝をしてました。というか、けっこう早い時間に添い寝したまま眠ってしまったようなのでした。(すごい~わたしは眠れるかな?)
 
残りのわたしたち3人は保健室へ。夜の保健室。わくわくですよね?
だがしかし、わたしは診察用の簡易ベッドに横になるもまぶたがカラカラに乾いて目の奥の水分まで無くなったような気分になり、眠れず。だからといって、なんかを観察しようとか、夜の学校のことについては一切思いが及ばず、あああ、と心の中でうめいていました。壁掛け時計が刻む1分ごとの時の経過がおもいのほか自己主張してくるので、結果的に一睡もせずに、起床時間の5時。
 
わたしたちはフラフラと起き上がり、家庭科室へ。早朝駆けつけて来てくれた数人のママさんたちと一緒に、ご飯を炊き100人分のおにぎりを握り、種類ごとにより分けたそうめんをゆで続けました。
 
竹を半分に割って作った装置で流しそうめんを食べる子どもたちの嬉しそうな顔を見れたので、そこではじめて、安堵しました。そうめんをゆでているときは、蒸気でわたしの頭までゆで上がりそうでしたが、友だちママさんに「まおちゃん、そうめんは煮込むもんじゃないっ」とツッコミを入れられて、若干意識が戻りつつも、ぼやあああ、と火を止めたりもしていました。
 
そんなこんなで、日程をすべてこなし、イベントとしては成功し、微力ながら(めちゃくちゃ大げさに書いてますが、嘘偽りなくわたしは微力)お手伝いが終わり、心底えがったぁぁぁ、という感じで終了しました。
 
学校に泊まる、ってどんな感じだろう? 真夜中の保健室はわくわくしちゃうな、とかイベント前はうっすら期待はしていたのですが、なんというか、体力不足のせいか、そんなことにまで気が回らなかったのというのが現実ッ。
 
だけど、なんだろう、「子どもたちの喜ぶ顔が見たい」という純粋な感情だけじゃなくて、「これなんかに使えそう」ってヨコシマな気持ちがあったわたしは、ちょっと得したんじゃないか? っておもえたのでした。(強引)

2017年7月31日 (月)

7月がおわる

いやはやまたしても7月が終わりますね。
もう何度目ですか? 7月が終わるのは?
どこを起点として数えてるんだ、わたしは。

最近わたしがやっていること。
それは、ジム通いを再開したことかなあ。
筋トレもすこしはやりますが、ふだんあまり運動していないひとが身体を局部的に鍛えるのは逆にいろいろと良くないらしいので、なるべく有酸素運動(歩く、自転車、とか)をやっています。
少しは運動量を増やせていけたらいいのだが。(なにぶん、弱り始めなので)
ジム通いのせいで読書のペースが落ちている、これはいかん。なにかを犠牲にしないとなにかが出来ない~。

そうだ、この間、「罪を犯してしまう、とある少年15歳のケース」について、地元の保護司やPTAのひとたち、少年らに関わり合いのある団体のひとたちとのちょっとした討論会に行ってきました。討論会、というほどの討論はなく、ただ各人の意見を順番に軽く述べるだけなんですけど、ふだんあまり考えたことがないテーマだったので、わたしにとっては意味のあることだったのかもなあ、と思いながら出席してきました。

このような少年たちは小説にはたびたび出てくるので、印象としてはさほど珍しくはないのだけど、やっぱり身近な問題として捉えるには実感が薄かったのかもしれない。実際には小説のように衝撃的でもドラマチックなわけでも過激でもなく、とても地味に静かに物事は進んで行くし、そして気がついたときには取り返しのつかない状態に陥ってしまうこともある。そうかとおもえば、その少年は時が経ち親になって「今」は頑張ってますよ、っていうこともあるんですけどね、なんて、ことも話し合いに出てきました。

(いわゆる小説というのは、構築された世界ってことなんですね。ある意味あたりまえだけど)記録に残さないとそれらはどこに行っちゃうんだろうなあ。

いくつか話し合いのなかで意見が出たのですが、そのなかで気になったこと。
わたしが住んでいる市では、「いじめを掬い上げる」ことに力を入れているらしく、「いじめの存在を否定しない」ことをモットーに、どんなに小さな訴えにも耳を傾けていこうという努力をしているそうです。その結果(途中ですけどね)、わが市に20校とちょっとある小・中学校のいじめの報告件数は今年度?かな(曖昧ですみません)500件をゆうに超えたそうな。
 

少年のケース研究をみなで話し合ったときに、大事なのは個々のコミュニケーションを有効に行うこと(どこかに居場所をつくつこと)だという話になったのですが、これらのことがいいようにすすんで、ひとりでも苦しんでいるひとがなんでもいいから救われるといいなあと切におもいました。
 
話は変わりますが、
今まで書いたじぶんのブログをテキトーに読み返したのですが、これを書いたひとは不思議ちゃんだわ~っておもいました。じぶんなんだけど、じぶんではないような。この感覚は自分自身だからこそあるものなんだろうなあ。
そう考えると、文章であれなんであれ、じぶんの作ってきたものっておもしろいな。うん。(質のことを言っているのではありません。念のため)
 
 

2017年7月10日 (月)

頭痛注意報

わたしはじぶんはきになるけれども他の人からみたらさして興味のないような当たり前のことをぐねぐねと考える癖があって、これがわたしの通常運行思考の柱になっているといって差し支えないわけでありまするが、ときに、というか、だいたいにおいて他者との良好なコミュニケーションの妨げの要因になのはよく存じているわけでして(わたしだってじぶんが他者だったら、こんなひとと意思疎通出来ん)、だから会話においてなるべく滲み出ないように注意を払ってはいるのですが、なかなかどうしてすぐにこうして文章にしちまうんだよな。
だからほんとすんませんなんだけど、こういうひとだとおもっていただけたらよいなあとおもいます。

このあいだネットのどこかのぬーすで「睡眠とアルツハイマー病との因果関係発見」みたいなのを読んだのですが、見出しだけなので詳細は分からずじまいのまま書いちゃうってわけなんですが、というか読むのがちょっと怖くてその先に進めなかったのだけど、どうやら、睡眠の質がアルツハイマー病に影響を及ぼすことがわかった、というような内容らしいことだけはわかりました。

わたしは昨日朝からなんとなく調子が悪くて夕方以降から徐々に頭痛がしてきて、就寝時には痛くて眠れなくなってきたんだけれども、ふだんから頭痛を起こしやすいタイプであり、対処法は心得ているので、奴(頭痛)が来そうだという予感(頭痛注意報発令)がすると①葛根湯を飲む②経皮鎮痛消炎(シップ?)を肩に貼る③鎮痛剤をあらかじめ飲む、などを事前に施し、おそらくの原因である眼精疲労による肩こりの対処をしておけば事なきを得ることが多い。でも昨日はなんとなくなにもせずに自力で過ごすとどうなるだろう、と実験してみようという珍妙なチャレンジ精神がわいてきたのだった。

夕飯は家族とお好み焼き屋さんに行き、すでに調子が悪かったのだけれども、チャレンジ中なのでバレないようしてみることにしたのだ。仮に父親に正直に体調が悪いと打ち明けるとすると恐らく「おみゃあ(方言。お前、という意味です)はまーたそんなことばっかりいって、ふだんの行いが悪い」と説教が始まるに決まっているので、それを拝聴するのがものすごく苦痛なわけで、それなら頭痛を我慢したほうがええわい、とおもったのでした。お店では娘が鉄板に「あたしが油をひくーー」とはりきってやり始めたのはいいのですが、その量が多かったのがその後、油によるとおもわれるガス入り水蒸気に目をやられ、鉄板のそばにいた娘とわたしだけ2時間ほどショボショボするはめになるというオマケつき。
 

で、夜中になるといよいよ頭痛が酷くなり眠れない。頭が痛くていやんなっちゃう。痛みが脈打ちぐるぐるしている。いつか読んだアルツハイマーのことを思い出し、きが滅入り、ますます眠れない。頭の痛い箇所をゲンコツで叩いて、いなくなれ、と呪文をとなえる。だんだんゲンコツする手に力が入って思いのほか強く叩いてしまう。そうすると外傷的な新たな痛みが発生して元々ある内傷的(?)な痛みを一瞬忘れる。わたしは、おもった。なに!今のは?!すぐさま戻ってきたとはいえ、さっきまでじぶんを苦しめていた内傷的な痛みが消えた瞬間を体感できたのだ。これはすごい。・・・などとどうでもいいことをぐねぐね考えた。
そのうちにますますなんかおかしくなってきて、嘔吐が始まってしまった。あーあ。でも胃炎による嘔吐ではないので、そんなに苦しくはないんですよね。ダイエットになるかも、くらいはおもえましたね、正直なところ。不健康な方法ですが。

とりあえず自力治癒は諦めて②を実行したところ、その後の記憶がないので眠れたらしい。

で、さっきわたしはまたおもったんですよ。
みーんな、負の感情ってあるじゃないですか。負の感情がまったくない素振りをした日には「ノー天気」だと、また馬鹿にされかねないじゃないですか。だからといって、いいきになって負の感情を垂れ流しにしたら、それこそ聞かされるほう、読まされるほうは不愉快だってなりますが、でも、負の感情がない世界は「ノー天気」だって馬鹿にされるじゃないですか、の循環になるわけで。そう考えると、そういうにんげんが持ってる雑多な感情をうまい具合にジャンル問わず作品やある種の形に仕上げ、好き嫌いはあるにせよ、みなの心に響かせることができるってすごいなって、当たり前のことを睡眠あけにふとおもうわけなんでした。

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