2017年5月 8日 (月)

文学フリマ

昨日、東京流通センターで開催された文学フリマに行ってきました。このような催し物に初めて足を運んだので、会場に着いてから700はあるというブースの数に圧倒されてしまいました。
とはいうもののわたしには目当ての出店者≪夜釣りの会≫がおりまして、そこにどうにかたどり着けたらいいのだ!と目指してやってきたわけなのでした。
夜釣りの会の主催者のKさんは第32回太宰治賞を受賞されました。パチパチパチパチhappy02
『楽園』(夜釣十六)という作品です。このたび単行本化されまして発売されております。
おめでとうございます~。
文フリ会場では『楽園』と夜釣りの会の同人誌二冊、Kさん(伊藤万記さん)の別の賞の受賞作が掲載されているものなどが販売されていました。
(ブースや本などの写真をここに載せたかったのですが、どうにもこうにも機械の調子が悪くてうまくいきませんでしたcrying)

 
で、わたしは夜釣りの会の端っこのほうに在籍していまして、生まれて初めて同人誌(『夜釣りの日々』の一冊目)に小説を載せてもらいました。(あとで読み返したら、誤字やら変な言い回しやらの文章だったので自分で呆れてしまいました、あはは)
夜釣りの会の発足から、素晴らしき『楽園』の受賞、同人誌発行などの活動など、とてもよい記念になりましたし、思い出になりました。本当にどうもありがとうございました。(夜釣りの会の発足のきっかけのようなものは『楽園』の著者あとがきに書かれてますね)
 

わたしは創作をチームワークで成し遂げるのがとても苦手で、夜釣りの会に溶け込めてはいなかったんじゃないか、と思っていたけれども、昨日その懸念が払しょくされたのでした。
というのも、夜に女子会と称して同じく夜釣りの会のメンバーであるヒロさんの快気祝いのために6人の女性たちで集まり、東京駅の近くでお食事をしたのでした。
わたしは(ヒロさんもだそうですが)Kさん以外の残りの5名の方々とお会いするのは初めてでした。ヤフー掲示板で知り合って何年も前から文字だけのお付き合いだったので、みなさん「ここでこうして顔を合わせるのって不思議なことだよね~~」とさかんに言い合ってました笑
 

ヒロさんはふだんの文章そのまま柔らかいかわいい印象の方でした。わたしはヒロさんに、会った感じと文章とのギャップがすごいと言われました。(自分でもそう思います。年齢を無視していうなら、わたしは元気っ子です)それから掲示板時代に書き込みをみて、(参加者の)Fさんはわたしのことを男性だと思われていたようなのでした。Fさんはゆるやかな味のある雰囲気のある方。
(同じく参加者の)もうひとりのKさんはさっぱりとした方で話しやすかったし、Nさんは文章のままのステキなお姉さん、という雰囲気でした。どう表現していいかわからないけど、お会いできたことがとてもうれしかったです。
 

こういう小説を書いてみたい、とか、エンタメだったらこうだよ、とか、純文は、とか、あの賞のときはさ、詩は、俳句のときはね、この賞は向いてないでしょ! などの話(主に教えて頂いてました)を和気あいあいと出来たのが、わたしにとってはとても新鮮で楽しかった~~。

初めてお会いしたのに、そういう感じもせず、素直に話せていたなあと思いました。
文章や作品だけの関係でも、日常的に会って仲良くしている友だちとはまた違ったふうな、ふだん出せない言葉を無言で理解してくれている安心感があるんだろうなってつくづく感じました。

まだ会えていない、いつも仲良くしてくれているみなさんにもこういう機会があればいいなー。
ぜひともお会いしたいですね。

2017年4月27日 (木)

幼少時の傷がのこる映画

ここ数カ月(一、二カ月が好ましいと自分では思っている)のあいだに観た映画の中で、作品に共通するモチーフなどを拾い上げ、三つくらいピックアップしてブログに感想を書こうかな、と決めたのは前回の記事でのことなのですが、二回目にして早速その約束事を破って二つに減らしました。(緩い縛りである)

いつもなんとなく気が向いたときに、なんとなーく選んでレンタルしていますが、幾つか観ているうちにこれらにはなんとなーーく共通点があるな、と思うわけです。
そして今回この「なんとない」共通点がガツンときた二本。

主人公が幼少時に体験した独自の感覚が、わたしにガツンときた「ノンフィクション」を再構成したもの。実話を元にしています。

一つ目。
●『カスパー・ハウザーの謎』 1974年 西ドイツ ヴェルナー・ヘルツォーク監督
1812年生まれとされるカスパー・ハウザーは16歳になるまで、外部との接触を一切遮断され座敷牢に閉じ込められ教育を受けずに言葉どころか他の人間も知らずに生きて来ました。社会に出たとき彼は、唸り声しか出せず、足も弱っていたため歩行すらままなりませんでした。
16歳で保護され21歳で亡くなるまで、彼は言葉を習い、基本的な社会的マナーや現象などを教え込まれ(猫は二足歩行ではないとか、リンゴは動物ではないけど坂を転がることで動くことができるとか)、本を読み、ピアノを弾き、自伝を書けるようにまでになります。
しかし、存在をバカにされる、ピアノを弾いてもリズムが取れない、たくさん物語は生まれてくるのに冒頭しか出てこない、といった苦悩を抱えるようになります。彼の死後、当時のひとたちが脳を取り出し調べてみると、小脳が肥大し、左脳が萎縮していました。
わたしがもっとも印象に残ったのは、言葉を知らない時代、彼は夢を見たことがなかったこと、言葉を知った後も神の存在の認識が出来なかった、という点です。あと、よくがんばったね、って言ってあげたい。(心の中で)

●『カポーティ』 2006年 アメリカ ベネット・ミラー監督
大成功を収めた『冷血』が執筆出版までの、トルーマン・カポーティの葛藤、人柄が描かれています。ここでははっきりとは描かれてはいませんが、この作品にはカポーティの生い立ちが如実に現れていると思わずにはいられませんでした。
彼は小説家としての高い地位を早くから手に入れ、話術に富み、社交的で派手に振る舞っていました。そして、残酷な殺人事件が起きると興味を持ち、取材ののち犯人の心情に入り込み、魂が触れ合うことすら出来たようにも見えます。しかし、彼はそこで得た情報を犯人の心情にはそぐわない形で客観的(冷酷)に小説にし、裏切り続けます。6年もの歳月をかけたこの小説の出版のためには、死刑執行が必要でした。彼が犯人を愛し生き延びてほしいと思う気持ちも本当だろうし、また、死刑が執行されて本が出版されることを切望していたことも事実でした。引き裂かれる思いなのでした。
ここまでが映画の本筋ですが、ラストには、出版後に成功したカポーティがのちに中毒死の最期を迎えた、と説明書きが出ます。
彼は『叶えられた祈り』で仲間の内情を暴露し、そのせいか周囲に見捨てられ、孤独に陥り淋しく死んでしまいました。暴露は読者の関心を引くんですね。それって、話術に富んで社交的な彼だから、発想したことかもしれませんね。子どもの頃、壊れた心を埋めるために身に着けた技術もあるんだろなって勝手に思っちゃいました。(文学的な関心による暴露って、そういうことじゃないかもしれないけど、そうしちゃうのがまたそれなんだろか)カポーティさんって「無垢」なものを求めたひとなんですよね・・・。
 

2017年4月 7日 (金)

男と女がいる映画

 
ご無沙汰しております、まおまおです。(文章を少しだけ加筆&修正しました~現在4月8日の11時)
世の中は春ですね。
 

ぼやーっと過ごしているうちに季節が巡ってしまいます。

今年はなるべくDVDを借りて映画を観よう、と決めている。ようやく先月あたりからぼちぼち借りて来ては、観たり観なかったりしながら、あーあ、と思いながらレンタルDVDを返却しているわたくしでございます。

で、なんとなくゴダールの『男と女のいる舗道』というタイトルを思い出したのだけれど(思い出しただけで見直してはいない)、初めてそのタイトルを見た学生時代に、なんて素敵な映画なんだろう、と主演のアンナ・カリーナ共々、うっとりしたのだった。(舗道に立つ意味を思うとそんなのはおかしいけど・・・。マルセル・サコット判事の『売春婦のいる場所』をヒントに作られたらしい)
だけど、今になって思うと、舗道に男がいるのも、女がいるのも、特別なことでもなんでもなくて、舗道にはたいてい男か女かまたはその両方(というか両方でないというか)がいるもんなんだよな、と考え直したのだった。
しかも、それは邦題であって、原題はもっと小難しい感じなのだった。(男も女も使われていない『自分の人生を生きる、12のタブローに描かれた映画』)
でも、タイトルに、「男」or「女」+αの組み合わせ方ひとつで印象は変わるものだとも思ったんだ~~。

わたしは本を読めば、それなりにどの本もおもしろいなあって感激しちゃうんだけど、やっぱり映画もそうでどれ観てもそこそこ感動してしまう。それはやはり一定の水準をクリアしているからなんでしょうけどね。なので、今すぐにはおもしろかったものをピックアップできないから、共通項(テーマ・モチーフ)で選んでブログに書いてみようと思いました。

共通項、それは「女」。
なんのこっちゃかわからない雑な感想を残しちゃいます。
もし観たことがある方がいましたら、お話しましょ。

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まず一つ目。
『キャロル』2015年 アメリカ・イギリス
内容については踏み込まないほうがいいのだろうか。わたしがこの作品で感激したのは、主人公たちの心の通わせ方で、女が女であることを一番理解し、だからこそわかる互いの情や皮膚感覚について、・・・・・・・・・・・・。うがああ、と思いました。(なんのこっちゃ)

二番目。
『囚われた少女たち』2015年 メキシコ 監督ダビ・パブロス
売春宿で働く少女たち。あまりにも悲惨。後味がものすごく悪く、観なきゃよかったと後悔しましたが、でもやっぱりこういう事実も世の中にはあるのだから、と思い直しました。絶望感しかないのは、どうしたらいいのか。もしかしたら、観てる人を絶望させるのがこの映画の目的なのかもしれないです。

最後。
『女はみんな生きている』2003年 フランス 監督コリーヌ・セロー
これも邦題で、原題は『chaos』。コメディなんだけれども、めちゃんこおもしろかった。各世代の女性たちの哀しみや苛立ちを晴らしてくれるツクリになっている。たぶん、主婦世代にうけるんじゃないのだろうか。若い女性が中心になって、恨みを晴らしていくんだけど、そのテクニックがすごすぎて、わたしは慄いた。その若い女性をおばちゃんとお婆ちゃんがサポートしていくんだけど、そこの関係もおもしろい。繰り返すけれど、これはコメディです! ただ、男性には観ないことをお勧めしておきますね。
くれぐれも観ないでくださいね・・・・・・・・・・・・笑。

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「女」に特化して書いてみても、やっぱり、男と女は舗道(だけではないけど)に当たり前のようにいるんだろうな。(性別は便宜的に書いているだけです)
じぶんの人生を生きる・・・。
じぶんの人生を生きる・・・。
 

その時にじぶんが一緒にいる誰かに。
 

じぶんにないものを持っている誰かに、じぶんの持っている何かを与えて、そして、貰えたらこんなにうれしいことはないですね。

2017年3月15日 (水)

算数

時間がどういう仕組みで流れていくのが分かりませんが、とにかくもう3月も半ばですね!

今月は締め切りがある賞がいくつかありますね!
応募される方、がんばってください!
わたしはひたすら読書してます、なんか書きたいな。

ところでうちの子は今、小学5年生です。
で、娘が頭を抱えながら宿題をしていることがあるのですが、そのときが怖い。わたしは怖い。なぜかというと、「ねえ教えて~解き方を教えて~」ってせがんでくるからです。彼女は母が小学生レベルの問題で分からないことがあってはならないと思い込んでいるため、「分からないから無理」と断っても聴く耳を持ちません。「やればできる」と強い口調で言われます。だいたいわたしは算数も数学も苦手です。出来る限り、そう小学生の頃からそういうものから逃げてきました。テストは得意の勘であてずっぽうに数字を記入してそこそこ正解してきたから、なんとかここまで来れたのです。(あ、少しは考えましたけどもね)
今まで勘に頼ってきたのは、算数だってなんだって同じなのです! そんなものには向かい合いたくありません~~。
しかし、娘は母の言葉を頑として聞き入れません。「解いて!!解いて!!」と攻めの態勢を崩さない。
わたしはそんな娘に負けてしぶしぶ問題を見ました。見ただけです。娘はわたしの気持ちなんか気にもかけず、嬉しそうにこちらをうかがっています。そんで、わたしは問題を眺めているうちに無性に糖分が欲しくなって、とりあえずお菓子をむしゃむしゃ食べます。
(あああ、やだなあ、こんなの今までの人生で一度も解いた記憶なんかないのに。たぶん)
で、問題をなんとなく読んでみると、ものの数分で解けました……。
「なーんだ、しょせん小学生の算数だな、余裕だ~~はは」
って、言ってあげました。(大人げない)
当然ですが、内心安堵してます。

というか、これって、学校の算数だと思わないで解けばできるんだなあ、と思いました。なんだろう、人生経験と読書で算数の問題が解けることを実感ました。文章を読んでから、何が書いてあるか読んで、どうしたらいいか、その理屈を考えればいいのだ。小学生のころは、そういうことが分からなかったなあ、と娘の宿題を見て振り返る日々なのでした。

ちなみに、例えばこんな問題。すみません。解くのをごねてすみません笑
・・・
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2017年2月11日 (土)

昔と出会う

お久しぶりになってしまいました。
お元気でいらっしゃいますか。
なんでこんなに更新しなかったんだろうか、自分でも不思議。
とはいえ、二週間くらい風邪らしきものを引いたり、子どもがインフルエンザになったりで、なかなか書く気分になれなかったのもあるんですけどね。

それでも普段相変わらずやっていることといえば、本を読むこと。
最近よく読んでいるのが、アメリカ人小説家を中心とした短編集。名だたる翻訳家さんたちがチョイスしたアンソロジーを何冊か読みました。短編なので飽きたり肌に合わない文体のものも、あっという間なので楽しく読めます。若島正さん編の『ベストストーリーズⅠ・Ⅱ・Ⅲ』は「ニューヨーカー」に掲載されてかつ日本語未翻訳だったものを集めた作品集なのですが、これがまたおもしろい。あとは柴田元幸さん編ものものをいくつか読みました。『いずれは死ぬ身』(←すみません、間違えました。本の訂正『いまどきの老人』でした。老人の小説。ごめんなさい~・・・)は主人公が老人ばかりのお話を集めた老人小説で、子どもが持つことができない染み込んだ経験からもたらされる悪辣かつ悲哀がかった人生を語るお話たちはおもしろすぎる。老人侮るなかれ。気軽に楽しめ気安く落ち込め。

それら傑作作品集にチョイスされるのが、やはりエドガー・アラン・ポーなのだ。
ポーのとある作品を読んでわたしはお腹の底からフツフツと沸き上がるものを感じました。
・・・わたしは犯人を知っている。
・・・わたしはかつてこの作品をよんだことがあるのだ。
という、懐かしい感覚が蘇りました。小学生の頃、好きだったのは、星と神話と猫の生態に関するものと推理小説。あまり内容を覚えていないのだけれど、推理小説は、学校の図書室にあったエラリー・クリーンとかコナン・ドイルを読んだ記憶があります。その中でとりわけよく覚えているのが、ポーの『モルグ街の殺人』でした。ご存知の方もいらっしゃるとおもいますが小学生ながら、この作品の犯人に驚愕しましたし、事件を解決していくデュパンの存在そのものに意味不明な畏れを持ったのでした。

その小学校の図書室で、現在娘がよく借りて来ては本を読んでいます。わたしが小学生の頃とは比べものにならないくらい活字に触れているようです。(宗田理さんがお気に入りのよう)わたしが小学生の頃はもっぱら少女漫画に明け暮れていたので、娘ほどの図書室に出入りはしてはいないのだろうけど、それでも当時の自分が思い出されます。

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『春近き 消えた陽だまり 手を当てて 
          ぬくもり探す きみのいた跡』  毛毛

・・・きみもいつか消える陽だまりのぬくもりのように、わたしの元からいなくなってしまうのだろうか。 空を見上げれば、そこにあるはずなのに。

2017年1月 1日 (日)

あたらしい日

今日はたまたま元日だ。
昨日までは去年だったわけで、時間の経過とともにその経過を確認するための暦が慣例に則りひとつ増え、月がぐるりと1周し、数字の「12」が再び「1」に戻った。
簡単な説明ではあるけれども、これを新年という。(単なるへりくつな言い回し)
ここのところ、今までの自分の悪いところを見直してこれから先はもっとよい気持ちで過ごせるようになりたい、と思うことが増えた。ぐずぐず毎日自分を変えたいな、と思い続けてとうとう元旦になったわけだけど、それなら区切りもいいし、去年してしまった失敗をこれからは繰り返さないように、反対にいいことだけを繰り返せるようにしようと、心に決めた。

なんてことを新年早々にこんなふうに書くのはちょっと変わっているかもしれないけれど、小説が好きなひとなんて、ちょっとどころかけっこう変わっているひとが多いのだし、この程度のヘンテコはどうってことないのだ。

 
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最近、子どもの教育に関する講義に参加する機会が増えました。
講師は大学の教授だったりNPOの主催者だったりします。その中で出てきた説明でいいな、と思ったシンプルな例をここに書いちゃいます。上の写真の→の先っぽに書いてあるのが、生活を困難にしてしまう幾つかの症状なのですが、あくまで一例として先生が挙げたとおりに図にしてみました。→の先に行くほど、日常生活を困難に感じる度合いが高くなることを示しています。そして、乱暴でありますが、生活しているすべての人たちをこの図に当てはめるならば、そのすべての人がこのクロスした矢印の中心の上に位置づけされる人、悪く言えば無味無臭のなんの傾向も持たない人間、は存在しない、ということです。人間ならば、どれかしらの矢印の先端の方向に向いている、というわけです。

人によっては少し不安になりやすい、とか、空気が読めない、とか、そういう傾向のことです。それを「中心にいないのがおかしい」なんて無意識に思い込んでいる人がいないわけじゃなくて、むしろそんな雰囲気の中で暮らししているような気がします。それで息苦しくなっちゃう。生活がしにくくて、息苦しく感じている人たち。(だから、小説とか演劇とか音楽とか絵画とか笑いとかいろいろ、お金のように使えないものが貴ばれるとわたしは思う)

それがちょっとヘンテコなのだ。
そしてわたしはたぶんヘンテコなのだ。(知らないけど)

ヘンテコな自分万歳。ヘンテコな他人万歳。まずはそこからだ。それが出来たら、自分の見たものだけが真実だと解釈して都合の悪いものは排除する考え方はやめようかな、と思う。都合の悪いもの。なんだろう。頭の中で挙げてみるけど・・・・・・・・・・・・。
でも都合の悪いものの背景にはどんなものが描かれているんだろう、なんて想像してみてもいいかも。
しょっぱなからそんなことをこねくり回す、これもまたヘンテコなところです。すみません。

それが出来ずにぐずぐずしていた去年。まずはぐずぐず考えない。今年は。

最後に言いますが
あけましておめでとうございます。良い年になるといいですね。

2016年12月26日 (月)

2016年の読書

こうしてブログの更新をすることが、お久しぶりなことになってしまいました。
いざ何かを書こうとする、今も、どんなふうにしたらよいのだろう、などと、変に肩に力が入ってしまい思うように言葉が見つからない。
でもまあ、そのうちにこれまでの心境を含め、これからゆるやかに文章にしていけたらいいなあと思っています(心境なんてものは周囲から見たら、どうでもいいことかもしれないけど)。とは言うものの、わたしの考える、そのゆるやかさ、がひとと違うような気がしているので今後書く内容がどうなるか分からないのでした。

というわけで(無理やり)、2016年印象に残った読書。新刊既刊関係なくわたしが読んでおもしろかった本。<小説のみ選択>でメモを残したいと思います!(どれももこれもおもしろかったので、特に印象深かったもの)

・「可笑しい愛」 ミラン・クンデラ
・「贖罪」イアン・マキューアン
・「狼たちの月」フリオ・リャマサーレス
・「奇跡も語る者がいなければ」ジョン・マグレガー
・「父の遺産」「いつわり」フィリップ・ロス
・「海に帰る日」「いにしえの光」ジョン・バンヴィル
・「ディビザデロ通り」マイケル・オンダーチェ
・「マイケル・K」J.M.クッツェー
・「終りの感覚」ジュリアン・バーンズ
・「灰色の輝ける贈り物」アリステア・マクラウド
・「千年の祈り」イーユン・リー
・「コンビニ人間」村田紗耶香
・季刊誌MONKEY

などなどなどなど。

それから、谷川俊太郎さんの詩集を読んだことがわたしの中で大きな収穫となりました。

今年は、後半グダグダなわたしでしたが(最初からだよ、というセリフには耳を貸さない)、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします!(たぶんまた喋り出すと思います)
 
 
 

2016年11月20日 (日)

こんなのありました。

うちにありました~~~。
『中国女』のパンフレット~~~~。
 

Img_2361 もう一枚 Fullsizerender_24

2016年10月28日 (金)

egoism

たとえば

わたしが美しいと思うのは きらびやかに咲く花の花びらにいる怖い蜘蛛
わたしが美しいと思うのは 大嫌いと心にもないことを言っちゃう小学生の真っ赤な頬
わたしが美しいと思うのは 弱く震える人に向けた柔らかい眼差し
わたしが美しいと思うのは 沈黙でも言葉を超えて信じる目
わたしが美しいと思うのは 誰かが誰かを愛する気持ち
わたしが美しいと思うのは 神の火に炙られてはじける達磨の音
わたしが美しいと思うのは 無垢な者が流す涙
わたしが美しいと思うのは 病の犬の背中
わたしが美しいと思うのは 正々堂々と闘っている人の姿
わたしが美しいと思うのは 弱い自分を変えようともがいている姿
わたしが美しいと思うのは 綺麗なふりして汚いより汚いふりした綺麗
わたしが美しいと思うのは 悪者が見せる仄かな弱さ
わたしが美しいと思うのは わたしに踏んづけられた道端の花
わたしが美しいと思うのは 言葉に出来ない苦しい気持ち

わたしが美しいと思うのは わたしだけを愛してくれる誰かの心 

2016年10月12日 (水)

谷川俊太郎展

こんにちは、お元気ですか。

そろらくですが、ブログの調子が悪くてログインできないとか、ブログを書いている途中にカーソルみたいなものが動かなくなるという現象があり、やっと開いたパソコンを閉じてしまうという心の弱さのために更新できずにいました。まおまおです。

また途中で止まると嫌だなあ、などと思いつつ、今打ち込んでいる最中です。
 

最近なにかあったかな、というと、伝えるほどの出来事は無く。。。そうかといって、頭の中は相変わらず、ごっちゃごっちゃして、感情は忙しい。わたしは中身だけ忙しい。。。

で、そんな中、9月25日に大岡信ことば館にて谷川俊太郎展に行ってまいりました。その日は、大岡信さんのご子息の小説家である玲さんとの対談イベントがあったので、ご本人さんのお話をおうかがいすることが出来たのでした。
まず、「言葉について」からお話がスタートしたわけですけど、やっぱり面白かったです。言葉に対するスタンスが聞けてよかったです~~。具体的にどんなことをか? と問われるとうまく答えられないのですが、きっと谷川さんの詩集を読まれてれば分かることなのではないかと思いました。
大岡玲さんは小説家ですので、おふたりの間での、小説と詩の違いの感覚も、へえええ、と心の中で呟きました。(なんのこっちゃ)
お話は初めて聴かせて頂いたのだけど、谷川さんは、とても「ゆるゆる」した方なんだ、ということを知りました。とても「ゆるゆる」していました。

最後に観客との質疑応答の場が設けられているのですが、そこで手を挙げ指名されたお客さんもなかなか変わった方が多くて、わたしは吹き出しそうになるのを堪えながら聴いておりました。どの方もそれぞれにご自分の質問やら感想やらを述べられていましたが、(たとえば、うんことうんちは違う、とか、墓はどうする、とか)それに対して谷川さんは「ゆるゆる」はしていつつも誠実に答えてらっしゃいました。ただ最後のほうの質問で、ある女性が「スヌーピーがイメージと違って、ブラックな犬だと知りました」と発言すると、その時だけ「ゆるゆる」を脱ぎ捨てて、「スヌーピーは、ブラックなのではありません、シニカルなのです」と真面目な口調に豹変したのでした。

それから展示室には、谷川さんの詩がいくつか斬新なデザインでレイアウトされています。だがしかし、わたしは座ってひとりで本を読みたいので、近いうちに実行しようかと思っています。

ものすごく大雑把に書きましたけど、そんな感じでした~~~。
サイン頂きました~~。
 
Img_2273
***最後に。
お願い。
とある方にお願い。
これだけ書けば分かりますか。
 

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