「わたしはノルウェイの文学祭で、隣に座ったルーマニアの詩人に話した。」という「早稲田文学増刊女性号」に掲載されている伊藤比呂美さんの文章の書き出しを読み、なぜだかわたしは、とあるペルー人のことを思い出した。(またまたかなり懐かしいことなので記録のひとつとして書いちゃいます笑)
今まであとにもさきにも(?)わたしがすれ違いざまに接したたったひとりのペルー人。わたしの中でのペルー代表。なにしろペルー人と聞くとすぐに、ずっと昔に少しだけ話したことがあるだけの彼を思い出す。はたちの終わり頃、わたしは高校時代の友だちとふたりでロサンゼルスとサンフランシスコへ卒業しない卒業旅行に行ったのです(友だちは短大を卒業したんだけども)。
ロサンゼルス・サンフランシスコ間の移動はわりと小さめの飛行機に乗りました。数十人規模の搭乗数だったんじゃなかろうか。これがまたけっこう揺れるやつで、風の抵抗は機体でもろに受けてます、というのが乗客にありありと実感できる仕様。なんとなく道路を走る車検を受けてないベニア板で補修したアメリカの自家用車みたいななんだかわかんないけどそれを思い出し、国内線だけにアットホームな雰囲気というのか。当時の印象はそんなこんなですが、なにせわたしがはたちの頃、今からざっと150年くらい前の話なので、いろいろと事実を捻じ曲げたり過分なフィルターが掛かっているに違いないことをご了承いただければ幸いなのです笑 とにかくそんな印象を与える飛行機に乗ったのでした、わたしたち。
座席も機体サイズと見合ってわりと狭くて小さいのですが、日本人体型にはさほど不都合は感じませんでした。
しかし、後から隣の座席にやって来た男性にはいささか小さすぎるようなのでした。彼はラモス瑠偉に似ていました。おそらくラモス瑠偉くらいの身長もあったと思うのですが(髪型はほぼ同じ)、違うのは横幅で、彼の三倍くらいあったんじゃないかなぁ?明らかに座席にお尻をねじ込みながら座っていたんです。だけど慣れた感じ。わたしの記憶ではずいずいいってました。
案の定彼の肉体は座席からはみ出て収まりきらないわけで、そうなると隣に座るわたしの領域に気軽にラモス似のお腹や足がヤッホウみたいな感じでいてくれるわけなんです。腕なんかは仕方なしにわたしの頭の上の背もたれ上部に引っ掛けている状態で、島国の片田舎に暮らす当時学生だったわたしにはただただ彼は謎の外国人だったのでした。
というより、実はけっこう恐ろしかったんです。見ず知らずの土地で見ず知らずの外国人とこのような不安定な空間で、なんでこんなに密着しなくてはいけないんだろうかって。年齢もイマイチ分からなくて、二十代にも見えるし四十代と言われたらそうなんだろな、という風貌で。
で、離陸前に座った途端、わたしはラモス似から怒涛の質問攻撃を受けることになったのでした。
いや、違う、その前に彼は聞いてもいないのに自己紹介を始めたのだった。。。「自分はペルーから来た季節労働者で、働いたお金で祖国の家族を養っているんだ。だから自分の国とアメリカを行ったり来たりするために、この飛行機には何度も何度も乗っているよ。とても安全だから安心したらいい」というようなことを言っていたような気がしています。
その後に取ってつけたように「あなたはどこから来たの?」と聞いてくるので、「日本です」と答えると「ああ、よく知ってるよ韓国人の知り合いがいるから」とよくわかんない返答をしてきたのでした。「アメリカは何回目?」「ここには何しに来たの?」「その場所は良く知ってるよ、とてもいいところだよね、行ったことはないけどね」などと、親近感をもってほしいと言わんばかりに無理やり話を合わせてくれるのでした。
とりあえずラモスは沈黙にならないようにひっきりなしに話しかけてきたので、わたしはただただ言うなりになることで精いっぱいで、しかも英語が得意なわけではないから必死にリスニングし、片言の単語で答え続けたのでした。
なんでこの人はわたしにこんなに関心があるんだろう、という当然の疑問が頭をよぎるわけです。そうかと思えば「中国では今なにが流行ってるの?」みたいな頓珍漢なことを聞いてもくるのでした。わたしもない知識を振り絞り、中国でなにが流行っているか考えるものの、無い袖は振れないのでなにも出てこず、どうしよう、と意味もなく焦るのでした。
もうはやくこの恐怖から逃れたいと願うばかりでした。ラモスの腕のせいで席が離れてしまった後方の友人に振り返ることさえ許されず、なんの罰ゲームだよ、と哀しみに溢れそうになった、そのとき、ようやく機内アナウンスが流れました。どうやらもうすぐ離陸できそうなのでした。
するとラモスは「怖い?」と聞いてくるので「少し」と答えると、それから、「怖い?」と同じ質問を何度も訊ねてくるようになりました。仕方ないので「怖くない」と答えたのですが、その声は彼の耳には届かず、それからひたすら「ドンビーナーバス!」と誰に対して言っているのか分からない様子でモゴモゴしだしたのでした。
そんでわたしの背もたれの手を下ろして縮こまって両耳に指を突っ込んで「ドンビーナーバス」をお経のように唱え始めました。わたしは縮こまったラモスに「ドンビーナーバス」と励まし返しました。
そのときにわかったのですが、彼の「ドンビーナーバス」はわたしへの励ましではなかったということなのでした。
そしていよいよ離陸というときに彼は、ぐわっとわたしの太ももを掴んで「ドンビーナーバス!!!!」と声にならない声で絶叫したので、さすがにわたしもびっくりしました。おそらく離陸のことなど忘れてちゃうくらいに。
離陸して機体が安定すると先ほどの質問攻めが嘘のように止みました。一言二言会話したあと黙り込んだのか眠ってしまったのか分かりませんが、ラモスは静かになりました。
わたしはこのときはさすがに安堵。ようやくペルー人から解放された、と分かったからです。
だかしかし、離陸するなら着陸が待っているわけです。けれども、そのときにはわたしも勝手を知ったので、記憶に残るほどの緊張感はなかったのだと思います。
無事到着するとラモスは「アディオース」と気のない声で別れを告げてそそくさと去って行きました。
ドンビーナーバス。
怖がってすみません。だって、怖かったんだもの。
これにて「わたしはアメリカの国内線で、隣に座ったペルーの労働者に話した。」を終わります。
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